樺細工について

樺細工って何?

ヤマザクラ類の樹皮を用いて作られる工芸品を樺細工(かばざいく)といいます。独特の技法によってヤマザクラの樹皮特有の光沢を生かした、渋くて奥深な色合いが、名実ともに伝統的工芸品として広く愛用されています。代表的な製品として茶筒・茶櫃等のお茶道具類、文箱、茶だんす、ブローチ、タイピンなどがあります。

サクラの皮なのに樺?

ヤマザクラの樹皮を使うのにどうして「樺細工」というのでしょうか。「樺」の字から白樺を連想されるの方がいらっしゃいますが、使っている材料はオオヤマザクラ及びカスミザクラの樹皮だけです。どうして「カバ細工」と言うようになったのかはいろいろな説があり、はっきりしたことはわかりません。角館でも、むかしは「サクラカバ」と呼んでいたのが、今ではカバといえば桜の樹皮をさすようになりました。桜皮を使っていることをわかりやすく示すために、「桜皮細工」と書いて表示している場合もあります。

樺の語源は、古く万葉集の山部赤人の長歌にたどることができます。ここではヤマザクラを「かには(迦仁波)」と表現しているが、これが後に「かば(樺)」に転化したものと思われます。 またヤマザクラを樺とした使用例は、万葉集以後早くも平安中期、紫式部が著した「源氏物語 幻」の一節に見られます。

「外の花は、一重散りて、八重桜咲く花盛り過ぎて、樺桜は開け、・・・」

この樺桜は白色単弁、開花時期から推察してカスミザクラと考えられますが、いずれにしろ、この時代山桜を樺と言い表していたと想像される史料のひとつです。

以上のようなことを考え合わせると樺という字には山桜の意味が包含されており、この皮を原材料にして作った工芸品が樺細工です。

樺細工の歴史

角館の樺細工は、天明年間(1781~1789)にかけて佐竹北家の手判役、藤村彦六によって御処野家(現在の合川町鎌沢)から伝授されたことから始まりました。藩政期は藩主の手厚い庇護があり、下級武士の手内職ではありましたが、侍らしく妥協を許さない一品入魂の作風で、印籠、眼鏡入、根付、緒締などの製作を手がけました。

明治以降は、有力な問屋の出現が樺細工を安定した産業に導いていきました。特に長松谷商店は販路拡張、製品の大量生産化、工具の改良などで産業の底上げを図りました。また職人育成にも力があり、経徳斐太郎、黒沢清太などは、その後の時代に影響を与えた、「木地もの」という技法を確立しました。

大正期以降は名工「小野東三」が時代をリードしていきました。特に昭和17年からの3年間、柳宗悦らの指導のもと、優秀な弟子たちと臨んだ日本民芸館における伝習会での成果は、今日の樺細工の礎を築いたといっても過言ではありません。

角館の樺細工の工法

角館の樺細工は次の3つの工法から作られます。

型もの
仕込みものともいい、木型に合わせて芯を作り、その上に樺を貼り付けて筒状のものを作る工法です。主な製品としては、古くは印籠や胴乱が多く、現在では、その伝統的な技法を最大限に活かした茶筒が代表的です。木型に巻く芯の成型とその上に樺を貼り付けるのにはげないように、膠とコテの熱加減に細かい神経を要する作業です。
茶筒
「型もの」の代表的な製品「茶筒」
印籠
古くは印籠や胴乱作りから始まった
木地もの
下地に木地を使ったもので、箱物が多く作られます。明治30年代から始まった工法で、その製品には文庫・硯箱・テーブル等が挙げられます。必要に応じて文様を置く模様付けの技術の光る製品も作られています。
文箱・硯箱
「木地もの」の中心は文箱・硯箱
テーブル
テーブル等の大きな作品もある
たたみもの
磨いたヤマザクラの樹皮を数十枚も重ね貼りし、厚くしたものを、様々な形に彫刻する工法です。古くは印籠や胴乱の根付、緒締を作る技法でしたが、最近はブローチ・ペンダント・ループタイ等の装身具を作る技法に応用されています。よく磨き上げた樹皮を重ねあわせ、その断面の層状になったものをアクセントにして、本来樺が持つ光沢を極限まで磨くという細かい手仕事です。
ブローチ
「たたみもの」の代表作ブローチ
ループタイ
男性の装身具ループタイ

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仙北市立角館樺細工伝承館